【再び那覇へ】
サラリーマン時代には出張と家族旅行で通い慣れた沖縄。だが未だに続くコロナ禍。沖縄の観光産業、外食産業は壊滅状態に陥れられている。そのコロナ禍に私はサラリーマンをヤメることを決意した。思い返すと沖縄を訪れたのは3年前。ムラ社会の会社組織でサラリーマンを続けるのか、転職ではなく、個人事業主として細々とやっていこうかと悩んでいた時期であった。そんな気持ちであっても、沖縄の海からの風はいつものように暖かく、変わりなく吹いていた。もうすでに気持ちは決まっていた。COVIT-19が世の中のあり方、やり方を変える。さらにムラ社会特有の閉塞感にも拍車をかける。同調的で面倒な手続きはもうご免被りたい。ムラ社会のために働くことすべてが面倒くさくなったのだ。
【出発】
主要駅から出発する関西国際空港行きの直行リムジンバスは運休したまま。まだまだ需要が見込めないのであろう。搭乗する日本トランスオーシャン航空(JTA)JTA005便の出発は14時15分なので、午前中にゆっくりと自宅を出ることができる。電車で大阪市内を経由し、南海電車で2時間程度である。少し早めに着いてのんびり昼食を取ってから搭乗ゲートに向かえばよいだろう。かれこれ、飛行機に搭乗するのは3年振りである。

関西国際空港駅に到着し、ターミナル1へ向かう。これも3年振りだ。かつての賑わいが戻るのはいつになるのだろうか。2階フロアのJALのチェックインカウンターでチェックイン、荷物を預ける。エスカレータで4Fの国際線出発フロアへ向かう。至る所でコロナ禍を利用して改装工事が行われている。コロナ禍後を見据えた動きがすでにある。

こんなひっそりとした国際線出発エリアを見るのは初めてだ。関西国際空港が開港したのは1994年9月。その数日後に旭川行きの日本エアシステム(JAS)に搭乗したことを思い出す。その27年間に何度利用したのだろうか? サラリーマンをやっていた期間と同じくらいだ。グアムへの初海外もこの空港からだった。独身時代の一人旅、出張、社員旅行、新婚旅行、家族旅行もこの空港から出発した。また活気が戻っていることを願ってやまない。

さて昼飯、腹ごしらえである。3階フロアのレストランは休業、閉店、撤退している。選択肢は少ない。「印度のルー」というフジオフードグループが運営するカレーショップ。鉄板でぐつぐつシズル感と匂いにおびき寄せられた結果だ。唐揚げカレー880円也。これはリピートありに分類。
【JTA005便】

2階フロアの国内線保安検査場を抜け、搭乗口へ向かう。今日はうちなーの翼、日本トランスオーシャン航空(JTA)。機材はボーイング 737-800(機体記号 JA350J)。残念ながらボーディングブリッジが邪魔になって機体全体を撮影することができなかった。この機材は新造機として2013年9月にJALエクスプレスに登録。その後2014年10月に日本航空へ移管、そして2020年1月に日本トランスオーシャン航空へ移管された機材である。調べてみると、2019年8月にはお馴染みだった737-400がすべて退役し、737-800への置き換えが完了していた。現在、日本トランスオーシャン航空は14機体制、すべて737-800で運用されている。

ほぼ定刻にドアクローズ。日本航空(JAL)の黒のレザー張りのシートが懐かしい。もう出張でお世話になっていたあの頃ではない。今はすでにサラリーマンをヤメ、セミリタイヤしたサイドFIRE民である。そしてこうやって、再び飛行機に乗って旅ができる。涙がちょちょぎれた。
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