【救急搬送】
朝早く目が覚めて眠れないのは年のせい。だったら昼間に惰眠を貪ればよい。サイドFIRE民なのだから。
しかし、今日は違う。みぞおち辺りの痛みと吐き気。朝食を取っていないのに変な便意と変に柔らかくて細い排便が数回。明らかに何かがおかしい。両手の指先から血の気が引いたような感覚も現れた。身体を横にしてしばらく様子を見ていたがどうにも良くなりそうもない。
食中毒か?
カツオの刺身を食べたのは3日ほど前だけど?
アニサキスか?
胃痙攣ってこんな症状か?
久しぶりに逆流性食道炎の強酸味が口内に広がる。普段痛くならないようなみぞおち辺りが痛いし、吐き気がして気分が悪い。何かがおかしい。
妻に救急車を頼んだ。
たかが腹痛ごときで救急要請してもいいのか? もっと救急搬送を必要としている人がいるのではないか? という思いがよぎる。ある地方公共団体では救急搬送され、医師が入院の必要がなく、緊急性なしと判断すれば、選定療養費として7,700円を支払わなければならない。
それでもいい。現金7,700円を握りしめ、救急隊員に差し出す。すぐに救急搬送して欲しい。もうそんな心境だ。
10分も経たないうちにサイレンが聞こえた。
救急隊員が玄関先に到着。自力で立ち上がり、ふらつきながら救急車の車内にあるストレッチャーに倒れ転んだ。付き添いで救急車に同乗したことがあるが、今回は私の番だ。
大きい地元病院に搬送先をお願いしたところ受け入れてくれるとのこと。その病院は家族や親戚縁者も搬送され、お世話になっている医療機関である。何かあればその病院に搬送して欲しいと家族に伝えている。さらにこの4月に受診したばかりの健康診断の結果や胃カメラの検査データもある。
妻も同乗する。忘れ物はないか? サイレンを聞きながら通勤渋滞の通り抜け、ほどなく病院に到着した。
救急の専用入口からストレッチャーで搬送されるのは初めての経験だ。まさに救命救急系のドラマを体現している。世代的には「救命病棟24」ではあるが。
次々と医療機器が指先、腕、胸に装着され、バイタルチェックが可能に。点滴のための注射針とチューブがテープで左腕に固定され、点滴バッグがぶら下げられた。いわゆる「ライン確保!」というやつだ。検査用の採血、CT検査へと進んだ。
医師より問診と触診。吐き気とみぞおち辺りが痛いだけで、右下腹部はほとんど痛くない、発熱もない。しかし、右下腹部を押すと少々の痛みとみぞおち辺りも痛む。左下腹部だとそのようことはない。
しばらくして血液検査の結果が届けられた。通常の健康診断の検査結果が届けられるスピードとは雲泥の差だ。特に問題になる検査結果でなかったが、白血球数の数値が4月の結果よりやや増加している。食中毒や胃に問題があるようではないとのこと。
医師の説明によると、症状が現れてから時間が経っていないため、まだ白血球数がこの数値であるが、時間とともに増加するであろう。さらにみぞおち辺りの痛みは、時間とともに右下腹部への強い痛みへと移行していくだろうと。つまり、虫垂炎(盲腸)である。
担当医となる消化器外科医より、炎症で肥大した虫垂のCT検査の画像の説明を受けた。今回、虫垂炎に対し「クスリで散す」というような悠長ことを言っている場合ではない。急性虫垂炎である。もし虫垂が破れ、腹腔内に膿が広がれば厄介なことになるので、すぐにでも緊急手術を行う必要がある。腹腔鏡下虫垂切除。臍部を含めて3カ所に穴を開けて行います。と説明を受けた。
しかし、緊急手術であるため、手術の時間がすぐには決まらない。他の手術予定を調整し、割り込ませていただけるとのことだ。助かった。
その間にも吐き気が強くなり、吐き気を抑える薬が点滴バッグに注入された。いつまでも救急の処置室に留まっている訳には行かない。割り当てられた一般病棟の病室に一旦移動、手術まで時間待機となった。
幸いなことに症状が現れたのが早朝であったため、何も食べておらず胃の中はからっぽ。全身麻酔で行う手術では、誤嚥性肺炎を防ぐため絶食が原則である。そのことが緊急手術を可能にした要因のひとつであった。
【緊急手術】
手術時間は午後2時と決定した。
麻酔科の看護師より説明があり、手術室への移動。寝台ベッドに載せられ、上向きでの移動は乗り物酔いのような感覚だ。もともと三半規管弱いのか乗り物酔いしやすい。
手術室へはエレベーターでの移動。建物の奥にある。映画のセットのような施設。医療機器の中を寝台ベッドに載せられ移動した。手術用の寝台に身体を移動、意外と狭いので落ちそうだ。見上げた手術用照明は新しいLED仕様である。「救命病棟24」のイメージではない。
外科医、麻酔科医、担当医、看護師、手術スタッフに手術台を囲まれ、準備が手際よく進められる。
口に酸素マスクが装着された。
いよいよである。お任せいたします。なんとでもしてください。
それでは始めます。麻酔を入れていきます。
点滴のチューブから麻酔薬が注入され、10秒も経っていない。脈がとん、とん、とん、とん、ストンと意識が落ちた。
行ってきまーす。また帰ってくるつもりですが。人間が息絶える時ってこんな感覚なのだろうか?
手術が終わりました。起きてくださーい。
天使の、いや看護師の声でふっと目覚める。この世に帰って来た。たとえ逝ってしまっても、悔しいと思う未練はこの世に存在しない。
喉の奥が痛い。気管挿管。金属製の咽頭鏡を使って、人工呼吸器のチューブが気管に入っていたためだ。
幸いお腹の3カ所の穴もそんなに痛みはない。お腹にはゼッケンのようにガーゼが貼られている。だがベッドで寝返りを打つと傷口が痛い。特に臍の傷口が気になるところだが、裂けることはないだろう。点滴のおかげで尿意を催すが、トイレにも介助なしで行くことができる。
看護師に確認すると、夕食は取ることができないとのこと。当然ではあるが、腹が減った。明日までは点滴液に含まれるブドウ糖で我慢だ。その日はぐったりと眠った。こんなに長時間眠るのは久しぶりだった。
【入院生活】
翌朝。朝ごはんが美味しい。前日は全く食事を摂ることができなかった。術後の翌日は3食お粥であった。できれば皮蛋入りの広東粥にしてほしいのだが、そういう訳にはいかない。上げ膳下げ膳で3食付きの入院生活、唯一の楽しみである。
手術当日でも、歩いてトイレに行くことも可能である。点滴のチューブは左腕につながったまま、どこへ行くのもぶらさげた点滴バッグと一緒ということか。
朝の回診、検査採血。術後は良好とのこと。午後にはオナラも出た。翌日も術後でぐったり長時間睡眠である。子供の頃に見たドラマで、虫垂炎で入院しオナラが出れば良かったねと。腹痛で入院、原因は虫垂炎の設定がよくあったように思う。
入院期間は4日間の予定であったが、3日目の朝の回診時、担当医より傷口も良好なので今日帰りますか?との提案があった。えっ、お腹に3カ所穴を開けたのでは? 今日、家族が見舞いに来る予定である。念のため、予定通り次の日までの入院をお願いした。大部屋のイビキウルサイ4人部屋ではあるが、子供の頃以来、約50年振りの入院生活を楽しんでみたかったのだ。
【おわりに】
虫垂炎(盲腸)は右下腹部に脂汗の激痛が走るというだけの知識であったが、実際は大きく違っていた。これは身をもって経験してようやくわかったこと。みぞおちの周辺の痛みと嘔吐感、吐き気と気分の悪さ。
担当医から説明で、切除した私の虫垂を見た妻によると、確かに糞石がつまっていたとのこと。なぜそうなったのかと知りたいところではあるが、虫垂炎になる原因はまだ解明されていないようだ。
ただ、特にこの一週間の排便に関して、便秘が続いて糞詰りのような感覚があったこと。5ヶ月前ぐらいから、オナラがアンモニア系の強い匂いで臭かった。特に2日続けて納豆を食べると、より素晴らしい匂いを発していた。年齢とともに腸内フローラに変化が現れたのかと。しかし、退院後、納豆を続けて食べてもそんなことはない。虫垂が関係していたのではと素人ながらに推測している。
文末に、医師の的確な診断と緊急手術により、予定通り4日間で退院することができた。この国の医療体制と担当していただいた医師、看護師、医療スタッフに感謝申し上げたい。
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